再•インドネシア
昨日の楽しかった飲み会から一夜明け、ついに2週間滞在したオーストラリアも今日で最後である。
前回回れなかったこの北西部を周り切り、この広大な大地を一周できた事は感慨深い。
そんな思いを噛みしめながら、最後ダーウィンの街を歩く。
散歩しながら海岸沿いに。ふと防波堤から下を覗くと、壁際に魚が集まり、どれも日本では考えられないサイズ。
以前も述べたが、私は釣り好きである。
こんなところで、釣りできたらなぁと思いを馳せながら、改めてオーストラリアの自然に喜びを感じる。
そのうち、ツアーメンバーのアジモネ、ジョーと偶然会う。2人とも私と同じくブラブラ散歩してたそう。
せっかくなので、3人でそのままディナーに行くことに。
少し早めのディナータイムは、海岸沿いのオシャレなレストランで、ビール片手にサンセットを見ながら始まった。
少しだけ奮発して、さっき見た魚に影響受けたせいかフィッシュスペシャルなるものを注文。
あまりうまくはなかったが、
相変わらず、2人の会話にはロクに入っていけてはないが、いつもより居心地もいい。
1人で過ごす最後の夜と思ってたから、こうしてみんなでいれる事に嬉しさもある。
ダーウィンの水平線に、夕日が沈んでいく。
やっと一周できた達成感。そんな気持ちは2人にうまく伝えられなかったけど、こんな孤独な気持ちも全て旅の醍醐味で、つらいことも楽しいことも、全部味わいながら全て受け入れて進んでいきたいと、ひとり思った。
とても気持ちいい時間だった。
アジモネ、ジョーと別れ、ユースホテルに戻る。明日の朝は早い。
朝、6時の空港行きのバスに無事乗り込む。
見慣れたオーストラリアの街並みを眺めながら、迎え入れてくれたことを感謝し、飛行機のチェックインへ。
いよいよ、インドネシア入国である。
プロローグにも書いたが、この国には遺恨がある。
今回、2度と同じ轍は踏むわけにはいかない。
気を引き締めて、入国手続きを進める。
さて、これからどうするか…前回同様ノープランである。
しかし、先程飛行機内で一緒だった女性と話す機会が。日本人の方で名前は失念したが、今回バリへはトランジットで立ち寄り、数時間の滞在後また空港へ戻り日本へ帰るという。
その数時間、せっかくだから一緒にクタで食事でもということで、その提案にのった。
当初のプランではバリの中心地であるクタに行き、しばらくこの国に慣れるか、はたまた田舎のウブドに直行し、ゆっくり過ごすか…などと考えていたが、慣れさえすれば、あとは自分のペースに持っていける。
むしろ、内心怯えていた私にとっては非常にありがたい話だった。
よし、一緒にクタへ行きましょう。
彼女は何度かバリにも来ているようで、慣れた感がある。
当初、ビビっていた私もすっかり平常心を取り戻すことができた。
久しぶりに見る物売り、客引き…相変わらずの騒がしさだが、どこか懐かしい。
鬱陶しいのは間違いないが、なぜか優しい気持ちの自分もいる。
1人じゃない余裕があるのか。
女性に、ホテル探しも手伝ってもらい、無事にチェックイン。
これだけでも本当に助かった。まずはここを拠点にこれからのプランを練ろう。
お礼にご飯をご馳走し、色々な情報を聞きながらバリのビール、ビンタンで乾杯。
いやぁ、会えてよかったと思いながら、ふとした瞬間、彼女のノースリーブからのぞく剛毛のワキ毛が目に入った。
色々な価値観があるのだろう。欧米人には特に多い。自然のまま。ナチュラル志向。
しかし、私にとっては刺激がまだ強すぎる。
もうこの先は、ワキ毛しか目に入らない。決してブサイクなわけではない。むしろキレイな部類に入るのではないか。
しかし、名前もなかったこの女性のスペースに、しっかりとワキ毛がハマった。
なぜノースリーブを着るのだろう。見せたいのか?ワキ毛を。
ワキ毛はひとしきり飯を食らったあと、空港へと慣れた感じで帰って行った。
明日から楽しい旅になるよう計画を練ろう。
美味しいナシゴレンで腹も満たされて、とても気持ちいい夜になった。
ツアー打ち上げ
今日はカカドゥ最後の日だ。
サソリも出ず、ゆっくり眠れてよかった。
朝食のサンドウィッチを食べて、最後のブッシュウォーキングへ。
前回、来れなかった所へ来れた喜びと達成感、そしてここまで来たと言う感動と、また次の目的地を目指す寂しさ、色んな想いが胸で響いていた。
とにかく、残りの時間を目一杯楽しみたい。
長い山道を歩き続けたあとは、びっしょりかいた汗をいつものように自然の川に飛び込み、洗い流す。
ツアーメンバーも慣れたもので、みんな当たり前のように川をシャワー代わりにしている。
ここの川では崖から飛び込んだり、洞窟のように入り組んだ穴に潜って泳いだり、とても楽しんだ。
ひとしきり泳いだあとは、アボリジニのカルチャーセンターへ。
彼らの昔の生活を展示している施設。
原始のような、自然の中での暮らし。
食べものや、コミニュケーションである独特の壁画。
英語がろくに読めない私は視覚でしか理解できないことに悔しい思いをしたが、それでもこの生活のすごさはわかる。
はじめて、自分たちと違う人種が来たときはどんな気持ちだったんだろう?
ふと、そんなことを思いながら、ブルームで見た犯罪者のアボリジニのことが頭をよぎった。
深い溝を考えざるを得なかった。
帰りのバスではみんな景色を見ながら想いに耽る。疲れて眠ったり、それぞれの時間を過ごしながら無事にダーウィンの街に帰ってきたことに安心する。
そして、このあとはみんなで集まってディナー兼打ち上げである。
会場はパブ。ツアーメンバーみんなが集まり、ビール片手に宴会の始まり。
私も疲れきった体に冷たいビールを流し込み、ここぞとばかりに酒の力を借りて、その場に馴染む努力を。
みんなも酒が進むにつれ、どんどん会話が弾む。フランス人の女子3人組、ドイツ人のマークス、アジモネ、ジョー。ガイドのバーニー。
みんな、とても陽気で楽しいメンツだ。
夜が更けてきた中、パブではゲームタイムに。
ディジュリドゥ吹いたりするのを見ていたが、なんと私も前に連れ出され参加することに。
何やらルールを説明されて、実際の例を見せてくれる。どうやら股にビール瓶を挟んでコップ注ぐゲームようだ。
見様見真似でやってみるも、意外と難しくて、うまくいかず。
笑いの歓声に包まれながら、参加した自分をまずはよくやったと褒めてやる。
そして、そのあとは欧米人特有のダンスタイム。
ノリノリの音楽がパブに鳴り響く。
私はこの上なく、踊りが嫌いだ。理由は、踊れないからである。
リズム感はあるはず。しかし、体の関節が硬いのかもしれない。踊る姿は自分で見てもブサイクで、きもい。
なので、ひたすら避けて通ってきたこのダンスタイムだが、もみくちゃにされるうちにどうでも良くなってきた。
ここまで周りに囲まれてたら、下手も上手いもないだろう。ということで、ノリノリの気分で踊りまくった。
フランス人の女子組の1人、セシーラが耳元であなた、もっと喋りなさいよ!もっと勉強したら、絶対楽しいから!みたいなことを言って励ましてくれた。
おぉ、やっぱり俺は無口なジャパニーズと思われてたみたいやな。くそぉ、日本語なら俺のマシンガントークを食らわせてやるのに。
しかし、もっともな事を言われ、反省とともに、嬉しさもある。ありがとう、セシーラ。とても励みになりました。
場も終焉に近づき、みんなお別れの挨拶を。
最高のツアー、夜になった。
カカドゥツアー、楽しかったなぁ。まだまだ未開の地があり、冒険心を掻き立たせるオーストラリアの大自然。
ガイドのバーニーはじめ、ここで会ったみんなに感謝する。
またいつか来たいな。そんな思いで宿に帰る途中、セシーラがパブで出会った男と路地裏でブチュブチュしていた。
なんや、お前、そんな軽い女やったんか。と、ちょっと切ない気持ちで家路に着いた。
スコーピオン・キング
昨晩みんなと別れ、寝るために張ってあったテントに一人戻ったところ、何やらガサガサ音がする。
虫か何かが入り込んだか?
そう思って音のした方の荷物をどける。
…硬直した。見たとたん体が固まった。
虫どころの騒ぎではない。
現れたのは、サソリである。
フンコロガシぐらいの程度に思っていたのに。
向こうもこちらを見つめたまま、ピクリとも動かない。
死んでいるのか、生きているのか。いや、生きてるだろう。勢いよくガサガサ動く音を聞いたばかりだ。
誰か呼ぼうにも、さっきグッドナイトと言ってみんなもテントに入っている。
寝ているところに助けを求めるほどの度胸もなければ仲もよくない。
気づかなかったフリをして寝るには危険すぎる。
やるか…。
手荷物の中に携帯していた、この旅に出る時に地元のツレ達からもらった10徳ナイフ。
まさか初めて使う用途がサソリと戦うためになるとは、夢にも思わなかった。
ナイフや、缶切りなど数ある種類の中から一番大きな刃を引き出す。
勝負は一瞬だ。
やるかやられるか。
緊張のにらみ合いが続く。
狙いを頭に定め、一瞬の刹那を狙い、全身全霊の力をこの一瞬に込め振りかざした。
「ザクッ!」
見事、硬そうな鎧の皮膚を貫き、ピクリとも動かないサソリを見て勝利を確信した。
しかし、エビぞりのように反りあがった毒をもつであろう尾が、ナイフを持つ私の手に今にも届きそうな状態は、体中から冷や汗をかかざるを得なかった。
そんなこんなでサソリとの勝負に勝利し、安眠を勝ち取った私は、翌朝ナイフに刺さったままのサソリをおはようのあいさつ代わりにみんなに見せる。
「おぉ…。」みんなからは驚きと感嘆の声。
誰かが勝利をたたえるとともに、私をスコーピオン・キングと命名してくれた。
朝食の後はカカドゥ国立公園のジムジムフォールズや、ツインフォールズなどのメインスポットを目指す工程に。
久しぶりに歩く本格的な山道はかなりつらい。
途中汗だくになった体をシャワー代わりに川で泳いでリラックスしながら先を目指す。
そしてツインフォールズへ向かうボートの前で、ツアーメンバーであるフランスの女性たちがなにやらもめている。
どうやらツアー代に含まれていると思っていたボート代が別料金なことに腹を立てて猛抗議しているようだ。
しばらくの押し問答の後、結局は払わざるを得なかったようだが、このように自分の意見をあのようにはっきりと物申す姿は日本人にはなかなか持ち合わせていない感性だとおもった。いや少なくとも、私はあれほど自己主張ができない。
季節は乾季の今、ツインフォールズ名物の滝は水量が少なく、ガイドブックに載るような景色ではないけれど、それでもすごい景色に圧倒された。
手つかずの自然が残るオーストラリアの、濃い部分が反映されたような、大自然。
改めて感動した。
夜は今日も野営で、夕食はTボーンステーキ。
うまい。
しかし、英語の壁は相変わらず高く、みんなの輪に入ることを躊躇させる。
せめてアルコールでもあれば、少しは潤滑油になったのに、ケチってそれすらも心もとない。
逆に酔っぱらってきたドイツ人のマークスがやたらと話してきてくれたが、ほぼ何を言ってるのかわからず、話も長い。
シラフの人が酔っ払いの話を聞く気持ちがよく分かった。
みんなも疲れていたのか、今日は昨日より早く就寝。
サソリが出ないことを祈りつつ、テントに入る。
見上げた空は、今晩も満点の星空だった。
カカドゥツアー
28時間の長距離バスでなんとかダーウィンに到着。
着いた頃には日も暮れていて、目星をつけていたユースホステルにチェックイン。
明日は早速朝から念願のカカドゥ国立へのツアーに参加だ。
次の目的地インドネシアへのフライトチケットまで日本でとってきている私は、時間に制限がある。
ここからフライトの日程まで約1週間。ツアーの日程もそれを含めてかなりパツパツになっている。無駄な時間を過ごすわけにはいかない。
そんな理由から、このカカドゥのツアーもパースですでに予約済だ。
とりあえず無事につけて良かった。
すこしでも遅延などのトラブルがあるとこうはいかない。先進国であるオーストラリアの交通は、思ったよりも安全だ。
軽い夕食をとった後は、早朝の出発に備える。
ツアーの玄関口であるここダーウィンの街はツアー目当ての観光客がほとんどだ。
街は赤道に近いこともあり、熱帯の空気が色濃い。
パースと比べると雰囲気は全く違う。
ユースのドミトリーで疲れた体を休めた早朝、ツアーの集合場所へ。
ここから2泊3日のツアーを共にする参加者と顔合わせ。
どうやら日本人は私だけ、あとは中国人と欧米人。10人近いメンバーに、コンダクターのリーダーは、バーニーという地元のオージー。
マイクロバスに乗り込み、いよいよ出発。
まずは、有名なクロコダイルの餌付けだ。
カカドゥといえばこれというぐらいの代名詞。ボートから川に向かってエサのついた竿を垂らしていると、川の中からワニが飛びあがってそのエサを食らうアトラクションのようだ。
すごい!テレビでしか見たことないようなクロコダイルが、水面下からいきなり獲物を狩るそのさまは迫力満点!
と思ったのもつかの間、しばらくすると、見飽きてしまった。
というのも、ワニに野生感はなく、水族館などでやっているイルカの餌付けとあまり変わらないように思えてきた。
それほど、ワニも慣れているのだろう。
ニシキヘビを首に巻き付けたり(私は怖くてしなかった)、カカドゥならではの野生イベントが目白押し。
昼食をとりながら他のメンバーとも少しずつ会話をする。
どうやらみんな英語圏のメンバーはおらず、フランス、ドイツ、中国からの参加のようだ。
そして、ここカカドゥが地元アボリジニのロックアートを見に行く。
このアートを通じて言葉を超えたコミュニケーションをとってきた彼らの文化は想像をはるかに超える。
この広大な荒野を住みかとし、長年もの間どうやって生活してきたのか、原住民の偉大さを感じた。
そして私たち一行は本日の野営となる場所へ移動。
ちょうどサンセットの時間と重なり、素晴らしい景色が辺りに広がる。こんな夕陽を見たことがない。とにかく大きいのだ。
辺りはその夕陽の大きさに塗りつぶされるように、濃いオレンジ色に染まっていく。
大自然のなか、様々な動物の声や木々の揺れる音、水の流れる音、すべてがまとまったような、壮大な景色だった。
ついにここまで来たっていう実感に浸りながら、できるだけその景色を目に焼き付けようとした。
夜はその大自然でバーベキュー。
最高にうまい。
が、みんなは連れ同士で来ているので、なかなかその輪に入っていけない。
言葉の壁をまたもや感じる。この消極的な性格はもはやすぐに直るものではない。
そのあとは、オーストラリアならではのデジュリドゥの演奏会。
民族楽器で、アボリジニの人たちの楽器だ。街を歩いていてもお土産屋などには絶対においてある。ストリートでこのパフォーマンスを見る事も多い。
長い木に空洞があり、吹くことで独特の音が出る代物だが、これがただ単に吹くだけではもちろん音は出ない。相当な肺活量に加え、テクニックがいるのである。
はじめに見本を見せてくれたバーニーはさすがに慣れているのか、これぞという音を聞かせてくれる。
その後順番に回していきチャレンジしていくが、そう簡単にうまくいくわけもない。
私に至っては、すかしっぺのような、スースーとした情けない音しか出なかった。
そんなこんなで夜も更け、そろそろ寝る時間に。朝早くからの集合にみんな疲れもある。満足した心地いい疲れだ。
そして、ブッシュに張ったテントにそれぞれ入っていく。
見上げた夜空は言い表せないぐらいの満点の星でいっぱいだった。
ダーウィンへ
「バスジャックされるんじゃないか」
もともとの3人分の席以外はアボリジニの方々で埋め尽くされた車内の中でふとそんなことが頭をよぎった。
この人たちがその気になれば、運転手を含め私たちなどひとたまりもない。
女性一人に、老人が一人。私など体重60キロにも満たないマッチ棒である。
乗り込んできた車内のスペースは、1席の空きもないほど満員御礼である。
前の席に座った小学生のころの女の子はずっと後ろの私を振り返り凝視している。
めずらしいのか、刺すような目つきだ。
私は念のため、財布などの貴重品を改めて確認し、万が一にもスラれたりすることのないよう、しっかりとズボンの前ポケットにねじ込み、その上に手持ちのリュックを抱え込む。
そうして、バスジャック、いや、車内ですごす夜に備えた。
結論から言うと、バスジャックはもちろん、何事も起きない静かな車内だった。
アボリジニの方々も大人しく、皆が紳士的で、とても街で見るような印象とは大違いだ。
夜中にバスの後部座席にあるトイレまで歩いていくときは、車内の闇の中、無数の白い眼が私を凝視していることに恐怖を感じたものの、なんら問題もなくバスは進んだ。
大勢のアボリジニの中、全く意に介さない同乗していた白人女性や、老紳士などの様子からしても、このような状況は別に地元では珍しいことではないのだろう。
ただ、私にとっては、偏見を持たざるを得ない印象がある。
「見た目で人を判断してはいけない」とよく昔言われた事だが、
申し訳ないが、見た目がいかつすぎる。つい、判断してしまう。
彼らなりの言い分や事情はもちろんあるだろうし、なかにはいい人もたくさんいるだろう。
しかし、私自身が彼らをよく知らない。
歴史や背景、その人柄さえも。まともに会話したことさえないのだから。
結局は私の中に根付く、彼らに対する偏見のようなものが問題なのだろうけども、
それを払拭し理解できるようになるまでには、まだまだ私という人間としての成長が必要だと感じている。
バスは休憩のためのストップもほとんどとらず、最終目的地のダーウィンへ走って行った。
いつの間にか大勢のアボリジニの方々もそれぞれの目的地で降りていき、気が付いた時には乗客はほとんど入れ替わり、ダーウィンを目指す旅人が中心となった乗客に変わっていた。
ブルームからの28時間、さすがに当初から乗っているのは私ぐらいである。
思えばこのオーストラリアの北西部を旅するのは今回が初めてで、
これで前回の旅を通じ、オーストラリアを丸ごと一周したことになる。
グレハンに乗るのもこれで最後。ダーウィンからは空路を使いインドネシアを目指すことになる。
そこまでが日本にいる時に決めた旅の行程。インドネシア以降は全くのノープランだ。
まずは、このダーウィンにおいて、今回オーストラリアの旅でのハイライト、「カカドゥ国立公園」のツアーを満喫する。
ずっと行きたかったオーストラリアならではの、自然が豊かな国立公園だ。
広大な自然の中、未開の地も多く、ワニなどの野生動物がたくさん生息する地域でもある。
やっとここまでこれた。ダーウィンまではあと数時間。
すこし落ち着いた車内の中で、翌日から参加するツアーに胸を躍らせながら車窓に流れる景色を眺める。
月への階段
次の目的地は「ブルーム」。
大海原の水平線に浮かぶ月まで。つながっていく階段のような輝き。
そんな「月への階段」と呼ばれる神秘的な自然現象がみられることで有名な街だ。
もっとも、この現象は乾季の満月の日前後に限られ、残念ながら今はその季節ではない。1年を通して20日前後しか見られない貴重な時期には世界中から観光客が訪れるそうな。
そんなブルームに着いたのは夕方18時ごろ。
コーラルベイから実に18時間ほどの長旅になった。
バスの車内は快適で、音楽を聴いたり、車窓をながめてのんびりしたり、時折とまる小さな町でリフレッシュしたりと、そこまで苦には感じない。
バスを降り、目指したのは今日の宿、「YHA」と呼ばれるホテル。
俗にいう、ユースホステルと呼ばれる安宿だ。オーストラリアだけではなく、世界共通の旅人のための安宿である。
ユースと呼ばれるこのホテルは、その場所によって全く経営方針が異なる。
すごく質素な設備で必要最低限の物だけ揃え、ただ寝る事だけに特化した宿。
はたまた、エンターテインメント性が高く、バーなども併設し、夜中までにぎわうようなユースも中にはある。
このブルームのユースはどうやら後者のようだった。
かなり大きい広大な宿のスペースにはレストランなども併設されており、ステージまでがある。ちょうど今からそのステージでは、ここに泊まってる旅人の弾き語りが始まるところだった。
心地いい生音にリラックスしながら、夜の時間を過ごす。
置物だと思っていた、軒下のフクロウが野生の本物だったことにオーストラリアの自然を感じながら眠りについた。
翌朝、昨晩の賑わいは嘘のような静けさのYHA内で朝食のリンゴをかじる。
インドネシアのジャワ辺りの人だろうかと思っていた女性から流ちょうな日本語の挨拶がでてきた。
どうやら日本人だったようだ。特に特筆すべき点はない。
またもや今晩発つ予定の私は、昼間は近くのケーブルビーチへ。
月への階段がみられるビーチで、ゆっくりとした時間を過ごす。
読書などをしながら、のんびりした雰囲気はあっという間に過ぎていった。
夕方になり、昨晩の賑わいがもどりつつあるYHAをチェックアウト。
ふと、テレビで映っているニュースに目をやると…
ここブルーム近辺で、アボリジニに襲われ3人の女性が被害にあったという。
顔写真が移されている犯人はまだ捕まってはおらず、現在も逃走中とのこと。
こわ。
このアボリジニという、オーストラリアの原住民の話になると、とても私の浅はかな知識で無責任なことはいえない。
しかし、パース時代からそうだが、荒れたアボリジニがいるのも事実。
街を歩いていると、たばこや金をせびられ、断るとものすごい勢いで怒鳴ったり、
殴られそうな危機感を感じたこと一度や二度ではない。
昼間から泥酔し、ドラッグで暴れまわる姿を見てる以上、いくら原住民とはいえ関わりたくないイメージはぬぐえない。
もちろん彼らからすれば、自分たちの街を占領され、近代化された世界では従来の生活を送ることもできず、仕方なく街に出てきても職はなく…そのような状況の悲惨さも理解できる。
しかし、人を傷つけるのはまた別の次元の話だ。
とにかく私のような旅人には、その国の負の歴史を語るにはおこがましすぎる。
ただただ、何事もなく無事で旅を続けたいその一心である。
バス停へ向かうというと、宿のスタッフが、「ニュースでもやってたけど、夜は危ないから送っていくよ」なんて、ナイスガイ。
ピックアップトラックで送ってもらい、グレイハウンドの到着を待つ。
次に目指すは、いよいよダーウィン。ここからはなんと28時間の長旅。
予定通り来たバスに乗り込み席を確保。乗客は私と白人の若い女性、老紳士の3人。
シートの座り心地は最高で、ふかふかの座席はよく眠れそうだ。
しかも車内はガラッガラで、この上ない快適さを感じていると、しばらくしてバスはストップした。
「ミールストップ(食事休憩)かな?」と思い外に目をやる。
すると、運転手がバスから降り、荷物を積むスペースをあける。
どうやら止まったのは新たな乗客を乗せるためで、休憩ではない。
「ここから乗ってくる人もいるんだな」と、夜も更けようとしている窓の外にふと目をやる。
すると、漆黒の闇のなか白い眼だけが何十個もうごめいている。
暗い中目を凝らし注意深くみてみると、そとには大人数のアボリジニがバスに乗り込もうとしているところだった。
少しだけ釣り
ドミトリーを行き来する足跡、会話の声で目が覚めた。
ぐっすり寝た感があるが、それもそのはず。時計をみると、すでに10時近くになっている。
夜中に着いたドミトリーでは、部屋の状況はよく把握できていなかったが、どうやら、12人部屋の男女混合ドミトリーで、現在ほとんどのベッドが埋まってるように見える。
ほとんどのベッドは荷物があるだけで、すでに部屋に持ち主はいない。
ベッドに残ってる者もパッキングなり何かしらの準備をしている。
そういえば、チェックアウトの時間ももうすぐだ。
昨晩、夜中に着いてまだ何も知らないこの宿の内観を見回しながら、ベッドから這い起きる。
部屋から出てみると、かなり大きな宿だ。
一番目を引くのはなんといっても、中庭にある大きなプール。
既にプールには多くの人が思い思いの時間を過ごしている。
ビーチサイドで、甲羅干しをしたり、プールで泳いだり。
見た感じ、100%欧米人のようだ。もっとも、こんなにプールが好きなのは欧米人しかいないと私は思っている。
宿提供のフリーの朝食で軽く腹ごなしをして、さっそく外に出てみる。
というのも、今日の天気はオーストラリアに来て、一番素晴らしい天気だったから。
いや、このコーラルベイという場所で感じる天気が、いつもの晴れを、より輝かしてくれている。
真っ白な砂浜。透き通るエメラルドグリーンの海。そしてその上で輝く太陽と、濃い青空が強烈なコントラストを生み、快晴をいつも以上に素晴らしく感じさせてくれている。
海のきれいさでは世界有数の国オーストラリアだが、このコーラルベイはその中でも特段美しいビーチだ。
旅を急ぐ私は、今日の夜中、ここに降り立ったバスで、ここを発つ。
一日限りではあるが、このビーチを存分に味わっておきたい。
ビーチ周辺をぶらぶら歩いていると、小さな商店で釣り竿が売られているのを発見。
実は私は、大の釣り好きである。大阪にいるときでも、暇を見つけては友と車を走らせ、釣りに向かった。海の無い大阪では和歌山や、兵庫の日本海など、遠い距離を走らなければならなかったが、それでもやめられない。
一生楽しめる趣味を覚えたいなら釣りをおぼえろと、昔から言い続けられているが、それほど釣りというものは奥が深い。
それに加えこのコーラルベイは魚影が濃い釣り場でも有名とのこと。
そんなことを聞けば、釣り好きならやってみたくなるのは当然のところ。
大物を釣り上げ、写真を地元に送ろう…そんな妄想をしながら、伸縮式の釣り竿を購入。
そして、よさそうなポイントを見定め、きれいな海へ第一投。
とても気持ちがいい。この釣りにおける一投目が私はとても好きだ。
何かが釣れる予感。大物への期待。さまざまな思いが竿をとおして海の中を巡る。
どんな魚が釣れるかな…??
しばらくして、エサを回収しようと竿を立てるも、糸が戻らない。
まさか…。根がかりである。
岩か何か。海中の障害物に針が引っ掛かり、戻ってこない。
うまく外れてくれないときは、糸を切るしかない。糸が切れる場合もある。
やはり外れず、仕掛けは海の底に。気を取り直し、もう一度仕掛けを作り直し、
投げ込む。
次はどうや!?糸を手繰り寄せながら、魚の気配に神経を集中させる。
しかし。またしても根がかり。どうやらこの辺りは岩場だらけで、根がかり必至らしい。
「ファック!!」うっかり出る独り言は、英語に変わっている。
その後数少ない仕掛けは、あっという間に海の藻屑となり、やり場のない釣り竿だけが手元に残った。
もはやこうなると、こんな邪魔なものはない。どこに捨てて帰ろうか。
初めに抱いてた竿への愛はどこに行ったのだろう。
残りの時間はゆっくりとこのきれいなビーチで過ごし、宿に戻り夜中のバスまで時間を過ごした。
釣りに関しては、やはり残念ではあったが、あのシチュエーションでやらない選択肢を選ばなかったことを褒めたい。釣れはしなかったが、やらずに後悔するよりかは随分マシな気はしている。
またいつかのタイミングで釣りにはチャレンジしよう。
そんな誓いをたてながら、宿のピックアップバスで夜中のバスターミナルに送迎してもらう。
そして彼らは新たにバスから降りてくる客を宿まで運ぶのだ。
「ありがとう、送ってくれて!」
「気を付けて!良い旅を!」
そう、言葉をかけあいながら、次の目的地へ向かうバスに乗り込む。
心の中で、「釣り竿は宿に寄付するよ」と、つぶやきながら。